大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和38年(行)4号 判決

熊本市下通一丁目九番一五号

原告

柏田芳治

右訴訟代理人弁護士

山中大吉

熊本市行幸町二〇番地

被告

熊本税務署長

佐藤浩

右指定代理人

斉藤健

大道友彦

宮田淳

笠原貞雄

岡明

右当事者間の昭和三八年(行)第四号審査決定取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告が昭和三五年三月一四日付でなした原告の昭和二九年度分所得税重加算税についての更正処分、ならびに昭和三六年三月一五日付でなした原告の昭和三〇年度分所得税重加算税についての更正処分のうち各審査決定で取消された部分を除く残余部分を各取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一  原告の申立

主文と同旨の判決を求める。

二  被告の申立

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二、原告の請求原因

一  原告は昭和二九年までは個人として既製服小売販売業を経営し、昭和三〇年四月一日以降は右事業を株式会社柏田洋服店に組織替えをし、原告自身が右会社の取締役に就任して(右登記は同月二八日付でなされた)右事業の経営に当つてきた。

二  昭和二九年度分所得税について

(一)  原告は熊本税務署員の調査した結果に基く指示に従い(申告指導方法という)、昭和三〇年三月一五日付をもつて昭和二九年度分の原告の個人所得を金八一万九、五〇〇円、右所得税額を金七万九、九五〇円として確定申告をなし、右税額を納付したところ、時効完成の一日前である昭和三五年三月一四日になつて突然被告から昭和二九年度の原告の所得額を金五〇五万一、六九七円、所得税額を金二三四万五、四四〇円、重加算税額を金一一三万二、五〇〇円とする旨の更正決定をうけるに至つたので、同年四月九日被告に対し再調査の請求をなしたのであるが、昭和三六年五月一七日付をもつて右請求は棄却された。

(二)  そこで原告は昭和三六年六月五日熊本国税局長に対して審査請求をしたところ、同局長は昭和三八年二月一三日付をもつて右更正処分の一部を取消し、所得額を金一九一万五、三四二円、所得税額を金五七万五、二二〇円、重加算税額を金二四万七、五〇〇円と決定し、右審査決定は同月一四日原告に送達された。

同局長が右の如く更正処分を一部取消した理由は、被告が右更正処分において原告の弟である訴外柏田芳信、原告の妻の父である訴外林田景俊の両名の三和銀行熊本支店に対する偽名預金を原告所有の預金であると誤信して、右預金同額(課税標準額金四二三万二、一二七円)を原告の売上除外額と設定していたのを、右偽名預金が真実柏田芳信、林田景俊の所有にかかるものであつたことをみとめて、これを原告の所得から控除しながら、同時に仕入代行による所得金一〇七万七、二七二円が計上洩れになつていたとして右額を新らたに原告の所得に計上したためであり、しかも日時の経過により帳簿額がすでに存在していないことを奇貨として旧所得税法第四五条第三項のいわゆる推定による算定方式により右所得額を算出しているのである。

三  昭和三〇年度分所得税について

(一)  原告は昭和三一年三月一五日付をもつて昭和三〇年一月一日から同年一二月三一日までの間の所得につき前年同様申告指導に従つて所得額を金四五万二、二〇〇円、所得税額を金二万一、三三〇円として確定申告をし、その後同年四月九日付で右所得額を金四七万六、九〇〇円、右所得税額を金二万二、七七〇円と修正申告をなし、右所得税額を納付したところ、昭和三六年三月一五日になつて被告から右所得額を金一二三万八、〇〇〇円、所得税額を金三二万二、九九〇円、重加算税額を金一五万円とする旨の更正決定をうけたので、直ちに同年四月一四日被告に対し再調査の請求をしたのであるが、補正命令に応じないとの理由により同年五月一七日右請求を却下された。

(二)  そこで原告は昭和三六年六月五日熊本国税局長に対して審査請求をしたところ、同局長は昭和三八年二月一三日右更正処分の一部を取消し、所得額を金七四万九、六四四円、所得税額を金一一万三、二七〇円、重加算税額を金四万五、二五〇円と決定し、右審査決定は同月一四日原告に送達された。

同局長が更正処分を一部取消した理由は、昭和二九年度分の場合と同じく柏田芳信、林田景俊の偽名預金(課税標準額金七六万一、〇八七円)を原告の売上除外額と誤信していたこと、仕入代行による所得金二七万二、七二七円が計上洩れになつていたことがそれぞれ判明したためというのであり、しかも昭和二九年度の場合と同じく単なる推定に基き右所得額の算出がなされているのである。

四  しかしながら右各審査決定において認定されている仕入代行による所得は全く根拠のない不当なものであり、又仮に右所得があつたとしても右所得原因は更正の際には全く問題になつておらず、そのため右所得に対する国の課税権はすでに時効により消滅していたのであつて、いずれにしても右所得を対象とする所得税、重加算税の課税処分は理由がなく違法なものであるところ、一方前記の如く被告が原告の昭和二九、三〇年度の所得税、重加算税を更正するに至つた原因である偽名預金も原告のものではないことが明らかにされたのであるから、結局右各更正処分はこれを維持すべき根拠がなく取消すべきものである。

五  よつて原告は被告がなした原告の昭和二九年度分並びに昭和三〇年度分の所得税、重加算税についての各更正処分のうち、前記各審査決定で取消された部分を除く残余部分についてその取消を求める次第である。

第三請求原因に対する被告の答弁並びに主張

一  請求原因第一項の事実中、個人事業を会社組織に変更し、原告がその取締役に就任したのが昭和三〇年四月一日である点は不知。

第二項の(一)の事実中、原告が熊本税務署員の調査結果に基き確定申告をしたことは不知。時効前日になつて突然更正処分をなしたとの点は否認する。右更正処分は昭和三四年一二月熊本国税局調査査察部が株式会社柏田洋服店の昭和三〇年度以降の法人所得に関し簿外預金の問題をとりあげて調査したところ、簿外預金は法人組織になる前の個人事業時代にも存在していたことが判明したためなされたものであり、その間原告は再三にわたり調査をうけているのであつて主張の如く突然に更正処分をうけたというのは当らない。その余の事実はみとめる。

同項の(二)の事実中、帳簿類が存在していないことを奇貨として推計課税をなしたとの点は否認する。その余はみとめる。

第三項の(一)の事実中、申告指導に従つて申告をなしたことは不知。その余はみとめる。

同項(二)の事実はみとめる。第四項の事実は否認する。

二  申告指導について

昭和二二年四月一日従来行われてきた賦課課税制度が廃止され、申告納税制度に税制が変更されたのであるが、当初の間は右申告納税制度の基盤である記帳の習慣が一般に根を下しておらず、又納税者の税法に対する認識不足なども手伝つて、右申告納税制度が理想どおりに運用されるのは困難な状態にあつた。そこで右税制を円滑に運用し、財政収入の確保を図るためにとられた措置が申告指導である。それは納税者の所得計算並びにそれに基く公正な納税申告に協力し、かつそれを指導するにすぎないものであつて、種々ある申告指導の方法のうち、例えば事前に調査結果を納税者に通知する方法についてみると、右方法は税務署において事前に納税者の所得を調査し、その結果を納税者に通知して自己の申告額につき具体的な根拠を有していない一般納税者に対し申告のための資料を提供するというものであつて、決して税務署のなした調査結果を納税者に押しつけるような強制的な性質を有しているものではない。

又当然のことながら税務署の通知した調査所得額は調査時点における資料に基き算出されたものであり、最終的確定的なものではないのであつて、その後新しい資料が発見された場合には右所得額は当然加算更正さるべきことになる。

三  仕入代行による所得について

熊本国税局長は原告の昭和二九年度、昭和三〇年度の各所得税についての更正処分に対する審査決定において、原告主張の如く昭和二九年度分については三和銀行熊本支店に対する偽名の普通預金、神田主名義分一、〇六三万三、四三八円、本島盛男名義分一二〇万円、玉名昭夫名義分一二〇万四、六三〇円、吉本弘名義分六二二万四、二八七円、大石金太郎名義分五二〇万〇、八〇七円の各入金額合計二、四四六万三、一六二円(課税標準額四二三万二、一二七円)を、昭和三〇年度分については同銀行に対する偽名の普通預金、隅田等名義分一三〇万六、一一四円、吉本弘名義分一五五万一、九〇五円、神田主名義分一二〇万円、水本宗太郎名義分七〇万円の各入金額合計四七五万八、〇一九円(課税標準額七六万一、〇八七円)をそれぞれ原告の申告洩売上金として計上していた各更正決定の誤りをみとめて、右預金は原告のものではなく訴外柏田芳信、同林田景俊のものであると認定したのであるが、同時に別紙送金一覧表のとおり右柏田芳信、林田景俊の各偽名預金から大垣共立銀行岐阜駅前支店の原告名義当座預金に宛て昭和二九年度分については合計一、一八五万円、昭和三〇年度分については合計三〇〇万円がそれぞれ振込送金されており、右送金額でもつて原告が原告と同じく洋服販売業を経営している柏田芳信、林田景俊のために岐阜方面から既製洋服類の仕入を代行していた事実が新らたに判明した。

そこで同局長は右仕入代行による原告の収入について種々の調査をしたのであるが、本人たる原告が仕入代行については柏田芳信、林田景俊の両名から仕入額の一・五パーセントの手数料を取得したにすぎないと主張するのみで他にこれを根拠づける証拠は全くなく、又右原告の申立については当初の査察官の聴取書にもみられるとおり(乙第九号証参照)原告は前記偽名預金の帰属者が柏田芳信、林田景俊であることを十分知りながら、敢えて係官に対し右事実を知らないと申立て、除斥期間の経過になつてはじめて右預金が柏田芳信、林田景俊のものであることを告白する(乙第一〇号証参照)など(その結果右両名に対する脱税に基く課税は不能となつた)、その言動は全く課税を免れるための作為的なものであつて到底右申立を言葉通りに信用するわけには行かなかつたところから、止むを得ず旧所得税法第四五条第三項(昭和二五・法第七一号)により、右取引の実体が卸売のための仕入であること、右仕入商品が主として既製服および洋品雑貨類であつたことに着目し、熊本国税局作成昭和二九年分および昭和三〇年分商工庶業等所得標準率表の洋品雑貨卸売欄売買差益率一二パーセント、所得率八パーセントを適用して原告の収入を算定した結果

昭和二九年度分の所得は

11,850,000円÷(100-12)%=13,465,909円(卸総売上高)

13,465,909円×8%=1,077,272円(所得額)

昭和三〇年度分の所得は

3,000,000円÷(100-12)%=3,409,090円(卸総売上高)

3,409,090円×8%=272,727円(所得額)

と認定したのである。

なお既製服卸については右所得標準率表には記載がないので管内の既製服卸業者を調査した結果、その売買差益率、所得率はいずれも洋品雑貨卸売の売買差益率、所得率を上廻つていることが判明したので原告に対しては洋品雑貨卸の右率を適用することにしたのである。

右のとおり原告の仕入代行を卸売と認定し、前記所得標準率表を適用するに至つたのは、右所得標準率表における業種目の分類が日本標準産業分類(行政管理庁発行一九五三年三月改定)に基いてなされており、右産業分類に規定されている卸売業の定義が「本分類において卸売業というものは、主として次の業務に従事するすべての事業所である。〈1〉小売業又は他の卸業者に販売するもの(〈2〉〈3〉省略)〈4〉他人又は他の事業所のため代理人として商品を購入するもの〈5〉他人又は他の事業所のため仲介人として商品を購入するもの」となつているところから、これを本件仕入代行取引にあてはめた結果、原告が柏田芳信、林田景俊の資金を借受けて(前記原告名義当座預金に宛て送金されている事実)大垣に赴き、右両名の小売販売のため必要な商品を購入し、これを両名に販売している事実関係は、正に右定義〈1〉にいう「小売業者に販売するもの」に該当し、又仮に原告が右両名から商品仕入を委託され両名の代理人として仕入をなしたものとしても右定義〈4〉に該当し、いずれにしても原告の仕入代行は右定義にいう卸売業の範疇に入るのであり、又経済行為の観点からしても手数料(マージン)に仕入代金を加えた金額が卸売値となるのであるから所得推計の方法として原告の仕入代行を卸売とみても何ら不合理はないと判断したためである。

ちなみに柏田芳信の質問てん末書(乙第一三号証)によれば、当時原告および柏田芳信、林田景俊はそれぞれ別個の店舗を有して衣料品小売業を経営していたのであつて、右三者は親戚関係にはあるというものの、商売上は競争相手の関係に立つていたのであるから、原告は仕入代行をするに当つては通常の利潤を得ていたであろうことが十分窺われるのである。

以上の次第により同局長は、昭和二九年度分については前記偽名預金を原告の売上脱漏と誤信していたため取消すべき四二三万二、一二七円と、新らたに原告の所得と判明した右一〇七万七、二七二円並びに別途加算すべき配当所得金一万八、五〇〇円との差額金三一三万六、三五五円を、昭和三〇年度分については同じく原告の売上脱漏と誤信していたため取消すべき七六万一、〇八七円と新らたに原告の所得と判明した右二七万二、七二七円との差額金四八万八、三六〇円をそれぞれ取消して、原告の主張する如く所得額、所得税額、重加算税額につき各審査決定をなしたのである。

なお右の如く原告の仕入代行による収入額は、原告がこれを隠して申告しなかつたものであるから旧所得税法第五七条の「所得税額計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし又は仮装したもの」に該当し、重加算税の対象となることが明らかである。

四  仕入代行による所得に対する課税権の時効について

更正処分により所得額とこれに対する課税額が確定された後、審査段階における調査によつて従前の調査による所得原因又は所得計算法が誤つていたこと、更正処分では認定されていなかつた新らたな所得原因や、所得計算方法のあることがそれぞれ判明した場合には、従前の更正処分による所得額および課税額の範囲内である限り、新らたな所得原因や所得計算方法に基いて所得額および課税額を確定し、更正処分の効力を維持することは新らたな課税処分をしたことにはならず違法ではない。

本件両審査決定において認定された所得額、課税額は更正処分で確定された範囲内であること前述のとおりであるから審査決定で仕入代行による所得を新らたに認定したことをもつて新らたな課税処分をしたということはできず、従つて右は時効完成後の課税でないことは言うまでもない。

第四被告の主張に対する原告の認否並びに反論

被告主張のとおり柏田芳信、林田景俊の偽名預金から大垣共立銀行岐阜駅前支店の原告名義当座預金宛て仕入委託金が送金され、それをもつて原告が右両名のため既製服等の仕入を代行した事実はみとめる。

しかしながら右仕入代行は原告が自分の商品を仕入る序に実弟である柏田芳信、妻の父である林田景俊のため好意的になしたものであつて、そのため原告は右仕入代行に対して両名から仕入代金額の一・五パーセントを手数料(但し性質は仕入経費の分担金である)として支払をうけているにすぎず、しかも右手数料のうち大部分は仕入のための原告の宿泊費、交通費など仕入経費に費消されており、僅かの残額も原告の雑収入として帳簿に記帳計上されていたのであるから、被告が右仕入代行を原告自身の卸売取引と認定して一般の卸売商と同視し、その所得率を適用して所得計算をしたのは全くの誤りである。

被告は又原告は柏田芳信、林田景俊と同業であり競争関係にあつたから仕入代行についても通常の利潤を得ていたことが窺われる旨主張しているが、被告の援用する乙第一三号証によれば柏田芳信は当時店舗貸を業としていたというのであつて原告とは同業関係にはなく、又同業者だからといつて直ちに親兄弟の情誼が適用しないということにはならない。

第五証拠関係

一  原告

甲第一ないし第三号証を提出し、証人中島俊男、同柏田芳信、同藤川渡の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の一、二、同第七、八号証、同第一〇号証、同第一三号証の成立は認める、同第九号証は原告署名部分の成立は認めるがその余の部分の成立は否認する、その余の乙号各証の成立は不知。

二  被告

乙第一号証の一、二、同第二号証の一、二、同第三号証の一、二、同第四号証の一ないし三、同第五号証の一、二、同第六号証の一、二、同第七ないし第一一号証、同第一二号証の一、二、同第一三、一四号証を提出し、証人河野政司の証言を援用し、甲号各証の成立は認める。

理由

被告が原告の昭和二九年度分所得税につきその所得額を金五〇五万一、六九七円(申告額は金八一万九、五〇〇円)、所得税額を金二三四万五、四四〇円(申告額は金七万九、九五〇円)、重加算税額を金一一三万二、五〇〇円と更正し、昭和三〇年度分所得税につきその所得額を金一二三万八、〇〇〇円(申告額は金四七万六、九〇〇円)、所得税額を金三二万二、九九〇円(申告額は金二万二、七七〇円)、重加算税額を金一五万円と更正し、熊本国税局長が右各更正処分をそれぞれ一部取消して、昭和二九年度分については所得額を金一九一万五、三四二円、所得税額を金五七万五、二二〇円、重加算税額を金二四万七、五〇〇円とする旨の、又昭和三〇年度分については所得額を金七四万九、六四四円、所得税額を金一一万三、二七〇円、重加算税額を金四万五、二五〇円とする旨の各審査決定をしたこと

右各審査決定においては前記各更正処分をする原因となつた三和銀行熊本支店に対する被告主張の偽名預金が訴外柏田芳信、同林田景俊のものであり原告の所有に属するものでなかつたことが明らかにされ、右預金額を原告の売上申告洩額と考え原告の所得に計上していた右各更正処分の誤りがみとめられて、昭和二九年度分については金四二三万二、一二七円が、昭和三〇年度分については金七六万一、〇八七円がそれぞれ原告の課税標準所得から取消控除されたこと

しかしながら同時に原告の柏田芳信、林田景俊に対する既製服等の仕入代行による所得として昭和二九年度は金一〇七万七、二七二円、昭和三〇年度は金二七万二、七二七円があつたことが新らたに判明したという理由により、右各更正処分のうち右原告の所得でなかつたことがみとめられて取消控除された額と、右新らたに所得と判明した額(被告は昭和二九年度については右仕入代行による所得の外に配当所得金一万八、五〇〇円があつたと主張する)との差額が審査決定において一部取消の対象となつたこと

柏田芳信、林田景俊の偽名預金から大垣共立銀行岐阜駅前支店の原告名義当座預金に宛て被告主張の送金がなされ、原告が右送金額をもつて右芳信、林田両名のため既製服類の仕入代行をなしたこと

はいずれも当事者間に争いがない。

被告は右原告が柏田芳信、林田景俊のためになした既製服等の仕入代行行為をもつて、一般の卸売業に該当すると主張するのでまずこの点について判断する。

成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証の二、同第一〇号証、同第一三号証、証人柏田芳信、同藤川渡の証言および原告本人尋問の結果によれば(但し乙第一三号証のうち後記措信しない部分を除く)

原告は昭和二五年ごろから熊本市内下通商店街において個人で既製紳士服販売店を経営し、その商品を岐阜方面から仕入れていたところ、昭和二六年ごろからは右岐阜方面に商品仕入れに行つた際、序に当時原告と同じく下通りにおいてそれぞれ紳士服、洋品類等の小売販売店を出していた原告の弟である訴外柏田芳信、原告の妻の父訴外林田景俊の(原告は高級品を取扱つていたのに対し、柏田芳信、林田景俊は大衆向きの品を取扱つていた)商品をも同時に仕入れをしてやるようになり、右仕入代行はその後市内に次々と出現したデパートや大型店に対抗するため昭和三〇年四月原告、柏田芳信、林田景俊らが個人経営方式の店を止めて株式会社柏田洋服店を設立し、共同してその経営に当るようになるまで続けられたこと

右の如く原告が柏田芳信、林田景俊の仕入を代行するようになつたのは、三名が共に紳士既製服の販売に従事しており、しかも兄弟、義父という親戚関係にあるところから協同態勢がとり易く、又三名が個々別々に仕入れるよりは共同で仕入れた方が仕入経費が安くつき、大量に仕入れるために問屋に対する信用が増大するうえ、より安価で購入できるという利益が得られたためであつて、原告の仕入代行が行われるようになつてからは柏田芳信、林田景俊の商品仕入れは殆んど原告の仕入代行に依存するようになり、そのため原告は時には原告自身に仕入の必要がない時でも唯柏田芳信、林田景俊の商品を仕入れるというだけのために岐阜に行くこともあつたこと

原告は大体月一回位の割合で右仕入のため岐阜に赴いており、その際の滞在期間は短くて五日間、長くて二〇日間位であり、その間の滞在費用、交通費など仕入の所要経費は一まず原告が立替の格好で支出しておき、のち仕入れた商品が柏田芳信、林田景俊の許に運ばれた際、その仕入額の一・五パーセント程度の金額を仕入費用の分担として両名から支払をうけていたこと(その金額は実際の支出経費を各仕入額で按分したよりは幾分多い目になつていたようであるが、自己の用務を廃して他人のために費す時間に対する補償としての日当に相当する金額もその中に含まれて然るべきであるから、全体として実費弁償たる性質を失わないものと考えられる)

原告は仕入のため岐阜に赴くに当つては、予め柏田芳信、林田景俊からそれぞれ仕入金額を聞いておき、右金額の範囲内において品物の種類、柄などは原告の選択と判断により適当と思われるものを両名のために購入し、右品物を各人のもの毎に荷造りしたうえ、一応全部原告方に送りつけ、同所において荷物の中に入つている仕切書と品物を照合確認して柏田芳信、林田景俊の品物はさらに又それぞれ右両名方に運び込むという仕組により仕入代行を行つていたこと

仕入のための資金は富士銀行熊本支店を通じて、とくに仕入取引のために大垣共立銀行岐阜駅前支店に開設された原告名義当座預金口座に宛てて送金され、仕入代金を支払う必要が生じたときはその都度原告が右預金口座から払戻をうけて仕入先に支払うという方法をとつていたところ、富士銀行から大垣共立銀行への送金は一、二ケ月毎に送金の必要のある者の分を一括して送るという方式がとられていたため、送金関係だけからは原告、柏田芳信、林田景俊各人の各送金額を知ることができないのであるが、それは送金が一括してなされていたというだけのことであつて三者間においては各人の送金額はそれぞれ明確になつており、従つて原告名義の預金口座に送つてある各人の仕入資金の現在残高は今までの送金額と仕入金額をみれば一目瞭然であつて、柏田芳信、林田景俊が原告に仕入代行を依頼する際には仕入予定金額と右送金残高を考慮して仕入資金が不足している場合にはそれに見合う額を前記の方法により大垣共立銀行の原告名義預金口座に宛て送金するという方法がとられており、仕入の資金を三者各人間で一時融通し合うようなことはしておらず、そのため後に三者間で仕入代金について貸借の精算をする必要もなかつたこと

を肯定するに足りる。

右認定の事実関係によれば原告はお互いの利益になるところから同業者でありかつ親戚でもある柏田芳信、林田景俊と組んで商品の共同仕入をしていたものであつて、もともと両名に対する関係での営利を目的とする行為ではないというべく、従つて被告の主張する如く原告が本来の営業とは別個に仕入れた商品を芳信、林田両名に販売していたとか、その他行為の実体が卸売の観念に該当するというようなことはこれをみとめることができない。

被告は柏田芳信、林田景俊の大垣共立銀行の原告名義預金口座への送金の事実をもつて原告に対する仕入資金の貸付であり、原告、芳信、林田は同業者で競争相手の関係にあるから原告は仕入代行により卸商としての通常の利益を得ていた筈であると主張し、成立に争いのない乙第一三号証(柏田芳信に対する収税官吏の質問てん末書)および証人河野政司の証言中には一部これに副う部分がある。

しかしながら前認定の如く柏田芳信、林田景俊の大垣共立銀行への送金は原告に対する仕入資金の貸付ではなく自分の仕入資金を送つたものであり、又原告と芳信、林田両名とは同業者とは言つても兄弟、親子の関係にあるうえ、その取扱商品が原告は高級品、芳信、林田両名は大衆向きの品物と異つており、右三者はその後昭和三〇年四月にはデパート等外部の競争相手に対抗するため共同して株式会社柏田商店を設立するに至つていること等を考えあわせると右証拠はたやすく信用できない。

そうすると原告の行つた仕入代行(実体は共同仕入)をもつて卸売に該当するものとし、標準率の適用により卸売による所得を認定すべきであるという被告の主張はその前提を欠くものといわなければならない。

さらに被告は原告の昭和二九年度所得として配当所得金一万八、五〇〇円のあることが判明したと主張しているが、本件全証拠によるも右事実をみとめることはできない。

従つてこれらの所得を肯定し得るとして熊本国税局長が審査決定において維持した限度においても、被告のした本件各更正処分は違法というべきであつて、その取消を求める原告の本訴請求は理由があるから正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蓑田速夫 裁判官 久末洋三 裁判官 福富昌昭)

送金一覧表

〈省略〉

※ 上記の金額はいずれも富士銀行熊本支店において送金依頼人原告名義で大垣共立銀行に振込まれていたものであり、被告は上記林田景俊分605万円、柏田芳信分580万円合計1,185万円を仕入代行額とみたのである。

〈省略〉

※ 上記の金額はいずれも送金依頼人右田一郎、中山光男名義(いずれも偽名)で大垣共立銀行に振込まれていたものであり、被告は上記300万円を昭和30年度分の仕入代行額とみたのである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例